
⬅️ブログ村ランキングに参加しています。
バナーをクリックして応援ください。
昨夜は久し振りに、しっかりした雨音を聴きながら岩手県の火災現場にもこの雨が届きますように、と祈りながら就寝、熟睡できたような気がして起床。
外に出て優しい空気を久し振りに胸一杯に体に沁み込ませる。家内がママ友と食事、と言うので、一人で好きなうどんを食べに出掛ける。
帰宅し、車庫内を片付けている最中に若干早めに迎えの車到着、早く到着できるようになって午前中の方の元気な顔を見る事が出来る事が嬉しい。
近々の屋外プログラムを案内しているが買い物ドライブ案内に興味なし。ルーティンが済めばそれぞれがリハ運動を開始。
①集団体操は、スツールに座位でレッドコードを補助に全身ストレッチ、 後半はバランスディスクを利用して、体幹バランス・全身バランスに資する運動を続ける。
②自主練 下肢スリングで大腿関節の柔軟、可動域を拡大させる動き(自分で出来る範囲を超える)をスタッフに補助してもらう。
③負荷マシンは、ICカード設定通りに行なう(体験の方の展示運動)普段以上にゆっくり、利用する側の心得も含めて解説しながらゆっくり行った。

④エルゴメーター(固定自転車)走行時間10分 負荷3 走行距離4.9km 0回/分 速度29km/h。
⑤個別リハビリ、起立筋筋膜はがし・肩甲骨剝し.胸骨開きストレッチ左殿筋下肢マッサージ、肩たたき。
⑥下肢メドマー加圧マッサージ 終了時点で時間が残り、スタッフの勧めもあったのでので、⑦トレッドミル 歩行速度3.2km/h 歩行時間10分 歩行距離0.52km。
今日は何の日

1917年 – 京都 – 東京512kmで「東海道五十三次関東関西対抗駅伝競走」を開催。初めて「駅伝」の名称が使われる。
競技としての最初の駅伝は、東京奠都50周年記念として讀賣新聞社会部長・土岐善麿の発案で同社が主催し 1917年4月27日に行われた「東海道駅伝徒歩競走」とされる。関西組と関東組に分かれ京都の三条大橋を午後2時に出発し、東京の上野不忍池(しのばずのいけ)までの23区間、約508kmを昼夜問わず走り抜けるもので、先着の関東組がゴールに到着したのは翌々日の午前11時34分であった。この時の関東組のアンカーは金栗四三である。三条大橋と不忍池のほとりにはそれぞれ「駅伝発祥の地」の碑が現存する。
「東海道駅伝徒歩競走」の開催にあたり、当時の大日本体育協会副会長および神宮皇學館館長・武田千代三郎が競技名を「駅伝」と名づけた。古代の交通制度である伝馬制からヒントを得たと言われている。駅伝という言葉自体は、日本書紀にも記載されているほど古いものである。首都と地方の間の道路網に30里(約16km)毎に置かれた中継所のことを「駅」といい、ここに宿泊施設や人、馬を配置していた。駅に朝廷の使者が到着すると、次の駅まで乗り継ぎの馬を用意する仕組みが整っており、この制度を「駅制と伝馬制」あるいは「駅伝貢進」といった。

1946年(昭和21年)のこの日、警視庁で日本初の婦人警官62人が勤務に就いた。
連合国軍最高司令部(GHQ)の指示によるもので、2月21日に募集要項が出され、1300人が応募した。当時の名称は「婦人警察官」で、略して「婦人警官」「婦警」とも呼ばれた。婦人警察官の主な業務は事務であり、当時は逮捕権を持たなかった。
その後、2000年(平成12年)の男女雇用機会均等法全面改正に伴い、従来の「婦人警察官」という呼称から現在の「女性警察官」に改められた。2012年(平成24年)4月現在、女性警察官の数は約1万7700名であり、警察官全体の約6.8%を占めている。
警察官の制服は、男女でデザインが大きく異なり、女性では礼服がブレザーにネクタイ・スカート着用と規定されている。長い丈のスカートでは職務において邪魔になる場合があるため、膝丈程度のスカートが標準となっている。その他、股下があるキュロットスカートやズボンも用意されている。
出典:警視庁
👇👇👇 ご意見・質問・激励 お気軽になんでもコメントを 👇👇👇



コメント お気軽に、何でもコメントください。