久しぶりの温かいラーメン〜季節の変わり目を感じた一日 9/5(金)

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昨日は、午前中(未明)に発生した台風15号の影響により過ごしやすい一日。
三月振りに脳神経外科の受診に出向き、いつもどおりの問診とこちらからの状況報告、次回の受診の際にはMRI検査が入ることとなり診察室を出る。
台風に備えスーパーマーケットに立ち寄り食料の買い出しをして一端帰宅。
道の駅に出直し昼食を取る。今夏初、暖かい物を食べたくなった、久し振りに玉ねぎの微塵切りがたっぷり入った八王子ラーメン。さあ、やることは漢字クロスワードパズル、夕食も終え入浴後涼んでから床に就く。
就寝中に雨音に気が付き、久しぶりに空気中の水分を感じた。
今日は快調に飛ばしてゆけるか、定時に迎えの車に乗車、台風の接近に伴う雨が少し本降りの様になり、施設到着時には強い雨になっていた。
何時ものように健康観察準備体操をしてそれぞれの持ち場に誘導されリハビリ運動開始。

①トレッドミル 速度2.7 時間10分 歩行距離0.44km
②持参の筋膜リリース利用で、足関節・脹脛に刺激を与えるマッサージ
③集団体操は、スツールに腰掛け背反らし・背伸ばし体操で汗を搔き
要支援帰宅支援に係る休憩時間とも合わせ、ソラーチによる足底関節マッサージを3セット
⑤負荷マシーン・ストレッチマシーン・リラクゼーションマシーンのトレーニングでいつもながら空腹になり水腹にして昼食迄持たせる。
⑥本日最後に個別リハビリ麻痺側上下肢のマッサージ施術、関節ストレッチ・下肢前脛骨筋・足関節のマッサージ・ストレッチ
⑦テレビも消し.暗転しフィーリングミュージックに耳を澄まし深呼吸しながら体中を背伸びするように、ストレッチで体の緊張をほぐす。雨が強くなる中帰宅準備
1番目の車に乗り雨の中を帰宅、雨が従容状態になり助かった。

今日は何の日。役立つ雑学

ポーツマス条約
1905年(明治38年)9月4日(日本時間では9月5日15時47分)アメリカ大統領ルーズベルトの斡旋により日本とロシアの間でポーツマス条約が結ばれ、日露戦争が終結した。
戦争で優勢を保っていた日本は日本海海戦に勝利したが、国力の限界から講和を模索し、駐米公使高平小五郎を通じて米国に仲介を依頼した。
8月に開かれた会議では、ロシアが敗北を認めず賠償金支払いを拒むなど強硬姿勢を示したため交渉は難航したが、米国の働きかけにより最終的に合意に至った。
条約でロシアは満洲と朝鮮から撤兵し、樺太南部を日本に割譲したほか、満洲南部の鉄道や租借権も日本の支配下に入った
しかし、莫大な軍事費を投じてきた日本は賠償金を得られず、国民は戦時中の重税に加え成果の乏しさに不満を爆発させ、日比谷焼打事件などの暴動が起きた
この結果、日本は国際的地位を高める一方、国民感情との乖離という大きな課題を抱えることとなった。

伊能忠敬の歩幅は約69cm
江戸後期の測量家・伊能忠敬(1745~1818)は、17年かけて日本全国を歩いて測量し、『大日本沿海輿地全図』を完成させた。
距離の算出には自らの歩数を基準とし、その精度を確保するため歩幅を常に一定に保つことに努めた。
日々の訓練により歩幅は約69cmに安定し、この正確さがほぼ誤差のない地図作成を可能にした。
彼の地図は近代以前において国土の姿を明らかにし、後世の地理学や測量技術の基盤となった。
また体格は身長160cm前後、体重55kg程度と推定されるが、小柄な身体で日本を歩き抜いた忍耐力こそ、偉業を支えた最大の要因といえる。

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