終戦記念日 8/15(金)

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明け方の涼しさの中、調子よく動いていたが、朝食を摂り終わる頃には、なんとなく蒸し暑さが増してきた。
身なりを整え、時間は速いが車庫なら涼しかろうと早めに車庫に移動し、迎えの車を待てば、矢張り蒸し暑くなり始めた。するとタイミングよく車到着。
この車には、今日から正式にお一人増え、6名の乗車となるとの事。開始早々、認知症予防の為の無料講座の案内や、様々な内容のグルメやデパート買い物ツアーなどの案内があり、希望者はスタッフまでとの事。簡単な準備運動をして、リハビリ運動に入る。

①集団体操は、足首トントン体操、少し早めに早くカウントされると疲れ方もきつい足にふらつきあるも。
②引き続きトレッドミル 速度2.7 時間10分 歩行距離0.45km
③持参の筋膜リリースで、足裏刺激脹脛マッサージを行ない。
④負荷マシンにストレッチマシン・リラクゼーションマシン気分良く。
⑤個別リハビリが待っている。担当ドライバーさんが、担当PTさんなので、乗車の際の問診で、既に小生の体調を把握してくれているように思い、こちらもベッドに向かうまでの歩行にも慎重にきちんと体を動かすようにする。麻痺側上下肢の関節筋力低下防止のためのトレーニングを行なう

⑥ソラーチで、足底関節マッサージを2セット、休憩時間も併せておこなう。
空腹になり⑦最後に気息体操で深呼吸をしながら体操でリラクゼーションタイム
室内が再点灯され、帰宅準備。支度の出来た順に車に乗車、帰宅する。
外気は涼しいが屋内は蒸し暑く感じる。

今日は何の日・役立つ雑学

〈八月や六日九日十五日〉。聞き覚えがある人も多いだろう。
〈八月は〉〈八月の〉も含めて無名の人々に多く詠まれてきた。最初の詠み人は誰か。小林良作さん(77)=千葉市=が調査し、本にした話は前に小欄で紹介した
被爆者治療にも携わった長崎県諫早市出身の医師が、1992年に投句したものが初との結末だった。その後、“俳句探偵”小林さんの元に新たな情報が届いた
▼さらに16年前に詠んだ人がいた。小森白はく芒ぽう子し(本名・政治)さん。長く川崎市に暮らしたが、小林さんの調査では「福岡県出身」という
▼その続きを追い、県内の図書館で唯一、句集を所蔵する田川市の館を訪ねた。句集や隣の川崎町史にも名前を見つけた。明治生まれ、旧制田川中から旧制福岡高へ。檀一雄らと短歌会を主宰し、東大では武田泰淳と同人誌を編んだ文人だった。句集には敗戦を詠んだ〈国破れ日輪焦土を灼やきつける〉もあった。NHKに勤め、終戦前は中国向け放送に従事した
▼〈八月〉は「少なくとも名句じゃないんです。でも心に残る句であることは間違いない」と小林さん。詠み人不詳ではなく、詠み人多数の句であり、この先も詠み継がれていくと確信している
▼八月や、と口に出してみる。小気味よい五七五の調べなのに、この国の8月がまとっている静寂や無念、鎮魂がにじむ。最後の戦争被爆地であれ。きょう、長崎は原爆の日を迎えた。

特別論説委員から 本日付「春秋」の「八月や六日九日十五日」は、5年前に小欄で取り上げた有名な俳句。新たに判明した最初の詠み人は、福岡出身の人だった。「あの日の春秋」も合わせてご覧ください。

あの日の春秋特別版:八月や六日九日十五日(2016年9月4日)
昭和19年生まれの小林良作さん(千葉市)は、一昨年、所属する俳句会に投句した句が「先行句がある」と知らされた。投句したのは〈八月の六日九日十五日〉
永六輔さんが「詠み人不詳」として〈八月は六日九日十五日〉を新聞やラジオで紹介していたという。小林さんはネット上や図書館で調べ、複数の俳句団体にも尋ねた
▼〈…六日九日十五日〉で投句した人が何人もいることが分かった。〈八月や〉で始まる句が多い。「たぶん、作者が最も多い句の一つ」と肯定的に話す句会主宰者もいる。盗作うんぬんの次元の話では全然ない
広島県尾道市の元医師会長、諫見勝則さん(故人)が最初、とする小林さんの調査はこの夏「八月や六日九日十五日」の題で冊子になった
▼諫見さんは平成4年に製薬企業の月刊情報誌に投句し、巻頭を飾っていた。大分県宇佐市の城井1号掩えん体たい壕ごう史跡公園に11年前に造られた句碑・歌碑25基の一つとしても採用されている。その経緯も冊子に詳しい
諫見さんは長崎県諫早市出身。18歳で入った江田島の海軍兵学校から広島の原子雲を見た。同じ被爆地の現長崎大医学部に翌春入学して医師になった。被爆者の診察にも関わった。診察室で8月のカレンダーを見ていた時あの句ができたそうだ。(2016年9月4日)
出典:西日本新聞

日付は、現代のような「刺身(さしみ)」が文安5年(1448年)8月15日の日記として初めて文書に登場したことにちなむ。
室町時代の日記『康富記』に文安5年(1448年)のこの日付で刺身に関する記録が初めて登場したことに由来する。
当時は魚を切り身にすると種類が分からなくなるため、魚のひれを切り身に刺して識別していたことから「刺身」と呼ばれるようになった。
さらに古い記録では『鈴鹿家記』の応永6年(1399年)に「指身」の記載もある。
刺身とは新鮮な魚介類を生のまま薄切りにして醤油やワサビで食べる日本料理で、「造り」とも呼ばれる。
名称の由来には、武士が「切る」を忌み嫌い「刺す」を使った説もある。
記念日の制定団体は不明だが、日本の食文化における刺身の歴史的重要性を示している。

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