(2025夏)甲子園も酣、初のスポーツの実況中継は 8/13(水)

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蒸し暑さはあるものの、天気予報ほど気温の上昇があるのかという程度の気温。
又お口の体操が忙しくなりますよ!』と、本日運転担当インストラクターからの御託宣、ご都合で暫くこのコースから外れていた方が復帰されるとの事。確かに道中.元に戻った。
運動前の脳トレは、両手を使ってトントン・スリスリを行なってから準備体操が終れば直ちにリハビリ運動開始。
さて今日の収穫は? ①トレッドミル 速度2.7 時間10分 歩行距離 0.45km どの器械でも概ね同様の数値になり安定しての足の運びもあると評価される。
②持参した筋膜リリースにて足底マッサージ

③個別リハビリは、麻痺側のマッサージで張りのある部分を見つけ、立ち上がりの際の腰椎脊椎・体幹・殿筋腰部への力の加え方による左大腿の直上への上がり方の説明を受け、実際に行ってみると、少しのバランスの差で、「テレビで見る北朝鮮兵の行進のように足の上りがきれいになった」とお褒めを頂く。『この練習を暫く行って変についてしまった癖を正して、正しい癖をつけていきましょう』との事。
④足首トントン体操は、今日は通所年月の長い人ばかりの組合せで時間も短くすんなりできる
⑤ソラーチによる足底関節マッサージ2セット、要支援帰宅支援中の休憩を利用し給水時間も長くゆっくり取り、負荷マシンに移り、穏やかな面々で順良く
⑥負荷マシン・ストレッチマシン・リラクゼーションマシンと終わり、空腹になったところで自席に戻り、帰宅準備荷物を整える。
⑦気息体操で、リラクゼーション体操をして、呼び出された順に車に乗り帰宅、おや小振りの雨が空は黒い、ひと雨きそうな予感。

今日は何の日・役立つ雑学

全国中等学校優勝野球大会のラジオ生中継を開始

正に甲子園大会たけなわ。
1927(昭和2)年8月13日、大阪放送局が全国中等学校優勝野球大会のラジオ生中継を開始しました。
初のスポーツ実況中継
国内初スポーツ実況に入局2年目のアナ抜擢

NHKアーカイブズ(NHK放送史)などによると、この画期的な甲子園球場からの中継を担当したのは入局2年目の魚谷忠アナウンサーでした。魚谷氏は大阪出身で第2回全国中等学校優勝野球大会(1916年)に市岡中学の三塁手として出場し、準優勝。関西学院高商部でも野球に打ち込んでいた経験から、野球のルールを熟知していることに加え、その体力も買われて国内初の野球実況アナウンサーに抜擢されました。
開幕日の第1試合は札幌第一(北海道)と青森師範(青森)の試合。放送開始の第1声は「JOBKこちら大阪中央放送局、甲子園臨時出張所であります」だったそうです。

全21試合を1人で実況
魚谷アナウンサーは「ピッチャー投げました、打ちました、打ちました」などと試合の経過を場内の雑観を交えて話し続け、決勝までの全21試合をたった一人で実況したといいます。当時は昭和2年で、全ての放送が逓信当局の検閲を受けていた時代。台本などの事前検閲が不可能な野球中継では、魚谷アナウンサーの横には逓信当局の監督官が座り、不容易、不適切な発言があった場合には直ちに放送を止めるという条件で、野球実況は放送を許されたといいます。

「野球をわざわざ観に来る人が減る」
その当時、大会主催者の朝日新聞社や甲子園球場の所有者である阪神電鉄は「放送されると、わざわざ球場に野球を観に来る人が減る」として、野球中継に難色を示したという記述が散見されますが、いざ中継が始まると、さらに観客は増え、全国高校野球選手権は国民的人気コンテンツになったのはご存じのとおりです。

現在の全国高校野球選手権は地方大会から全試合の中継をスマホのアプリで視聴できる時代。しかも詳細な選手データ、複数アングルのカメラ、見逃し配信なども楽しめます。ここまで進化した野球中継は96年前の甲子園がスタートだったと思うと、歴史の重み、ここまで中継技術を進化させてきた先人たちの積み重ねに敬意を抱きます。

野球の始球式で空振りする理由
野球において試合の開始前には「始球式(しきゅうしき)」と呼ばれる来賓が投手役として投球を行うセレモニーが実施される。
その始球式では打者はどんなボール球や絶好球が来ても空振りをするのが慣例となっている。これは日本で最初に始球式を実施した際に、投球を行った政治家・教育者の大隈重信(おおくま しげのぶ、1838~1922年)が偉すぎて、打者が空振りをするしかなかったという逸話に由来する説がある。

記録に残っている最古の始球式は、1892年(明治25年)にアメリカで実施されたウェスタンリーグの開幕試合だったとされる。この時、当時のオハイオ州知事で後の第25代アメリカ大統領のウィリアム・マッキンリー(William McKinley、1843~1901年)は客席からグラウンドにボールを投げ入れた。
当時のアメリカでの始球式は現在の日本での始球式とはスタイルが異なり、客席からグラウンドに向かってボールを投げ入れるかたちで、打者もいなかった。始球式での空振りは日本で生まれたとされ、それが早稲田大学の創設者でもある大隈重信が行った始球式である。1901年(明治34年)に創部された早稲田大学野球部はアメリカ遠征の中で「始球式」というものを知り、日本でも行われた。

1908年(明治41年)11月22日、来日したアメリカの大リーグ選抜チームと早稲田大学野球部が対戦する際に、記念として日本初の始球式を実施することになった。その始球式でマウンドから投球を行った大隈重信の球はストライクゾーンを大きく外れてしまった。
その際、早稲田大学の1番打者・山脇正治(やまわき まさはる、1885~1959年)が大隈大先生の球をボールにしてはいけないと考え、わざと空振りをしてストライクにした。これ以降、始球式において打者は投手役に敬意を表すために、どんな球でも空振りをするようになったと言われている。
出典:Wikipedia、コトバンク

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