日航123便墜落事故から40年/『君が代』記念日  8/12(火)

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上空の厚い雲に蓋をされ、地熱の逃げ場が無く、非常に湿度が高く、雲と地上の間の空気が蒸し暑くなっている。
40年前の、この日もこの様な朝を迎えており何事もなく、納車されたばかりの車で海に出掛け、一日遊んで帰宅して海風の塩分を洗い流す為に洗車をしている時、何げなく茜色の西の空を見上げれば、普段航空機の飛ばない空路を、北から南に向かっている飛ぶ黒い機影がみえた、それはB-747-SRで垂直尾翼の方向舵が欠落している。
なんだ?あれは!主翼フラップだけでは旋回も難しいだろう。昇降舵は大丈夫なのか⁇、直ちに洗車は中止して車庫に入れて家に入り、ニュースのスイッチを入れる。
その時点では各局から一報は出ていなかった。テーブルにつき食事時になって、羽田発伊丹行き日航123便の機影がレーダーから消えた旨の報告をアナウンサーが伝えた
あのまま飛べるのか気になる点は、あのままの方向でとべるとすれば御前崎方面ではないだろうか(あってはならない)洋上への不時着?墜落、傍らで見れば大きくとも、地上洋上では小さな点にしか見えないだろう。

これから夜間になれば捜索範囲が広く、時間がかかると思われ、人命救助体制の立ち上げが急務、乗員乗客500名以上が搭乗している模様との事で、大惨事が予想された。
南に飛んでいたのに群馬県の山中に墜落地点らしい場所が発見された知らせを各局アナウンサーが報じた。
この事故の臨時ニュースは、私の食欲を完全に削いでいた。幼い頃、父親から見聞きしていた事で直感で考えていた。
戦時中の航空機(竹とんぼのような物?)と現代の航空機の大きな違いはフェイルセーフ機構の発達整備されたものでは雲泥の差があるが、深刻に考えていた。方向舵があれだけ飛べば全ての油圧系統がダメージを受け操縦不能になる。程度の知識は当時でも持っていた

1893年(明治26年)のこの日、文部省が訓令「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」を布告し、小学校の祝日・大祭日の唱歌に『君が代』『一月一日』『紀元節』など8曲が定められた。
『君が代』(きみがよ)は、平安時代の『古今和歌集』にある「読み人知らず」の和歌に、イギリスの軍楽隊長ジョン・フェントン(John Fenton、1831~1890年)が曲を作り、歌われていた。フェントンは、日本に国歌がないのを残念に思い、練習生を介して作曲を申し出たことが始まりとされる。
しかし、メロディーと歌詞が一致していないということなどで、それを宮内庁雅楽課の林広守(はやし ひろもり、1831~1896年)が現在の曲に作り替えた。1880年(明治13年)11月3日の天長節(てんちょうせつ:天皇の誕生日)において初めて宮中で演奏が行われた。
1999年(平成11年)8月9日、「国旗及び国歌に関する法」により正式に国歌として法制化され、同年8月13日に公布・施行された。
『君が代』の歌詞は以下の通り。
君きみが代よは 千代ちよに八千代やちよに 細石さざれいしの 巌いわおとなりて 苔こけの生むすまで
『君が代』は、世界の国歌の中で、作詞者が最も古いと言われている。歌全体の意味としては「祝福を受ける人の長寿を祝う歌」「天皇の治世を奉祝する歌」となる。

「きみ」は、主人・家長・友人・愛人などを意味する言葉
さざれ石の いわおとなりて 苔のむすまで」とは「小石が成長して大きな岩となり、それに苔がはえるまで」の意味で、限りない悠久の年月を可視的なイメージとして表現したものである。

「さざれ石」とは「小さな石」のことで、日本では古くからそう呼んでいた。画像の石は、京都市左京区の下鴨神社(賀茂御祖神社)にある「さざれ石」である。さざれ石は、年とともに成長し、大きな岩になると信じられてきた。この巨石信仰の伝承は、日本の各地に存在する。
出典:コトバンク

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