連休の散歩が効いた!筋肉痛との付き合い方  5/7(水)

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博士の日(5月7日 記念日)

1888年(明治21年)のこの日、植物学者の伊藤圭介、数学者の菊池大麓、物理学者の山川健次郎など25人に日本初の博士号が文部省によって授与された。この時、法学博士、医学博士、工学博士、文学博士、理学博士の5種類の博士号が設けられた
当時の博士号は論文の提出によるものではなく、教育への貢献を評価されたものだった。論文による本格的な博士が生まれたのは、それから3年後の1891年(明治24年)からである。また、当時は「博士」の上に「大博士」の学位があったが、該当者がないまま1898年(明治31年)に廃止された。
「はかせ」と「はくし」は異なり、博士(はかせ)は伝統ある大化の改新以来の官職で、学生を教育するのが役目だった。一方、明治になって定められた学位が博士(はくし)で、英語では「Doctor」(略:Dr.)である。博士の学位には「Doctor of Philosophy」とその略である「Ph.D.」も使われる。直訳すると「哲学博士」であるが、「Philosophy」には「高等な学問」という意味もあり、日本の博士号に相当する
植物学者・男爵の伊藤圭介(いとう けいすけ、1803年(享和3年)~1901年(明治34年))は、「雄しべ」「雌しべ」「花粉」という言葉を作ったことでも知られる。1881年(明治14年)、東京大学理学部教授に任ぜられた。1901年(明治34年)、慢性胃腸炎のため98歳で亡くなったが、死の直前に学者として初の男爵を授けられた。
数学者・男爵の菊池大麓(きくち だいろく、1855年(安政2年)~1917年(大正6年))は、蕃書調所(ばんしょしらべしょ;東京大学の前身)で英語を学び、1867年(慶応3年)と1870年(明治3年)の2度に渡りイギリスに留学した。2度目の留学ではケンブリッジ大学で数学と物理学を学び学位を取得、帰国後1877年(明治10年)、東京大学理学部教授となり、近代数学を初めて日本にもたらした
物理学者・男爵の山川健次郎(やまかわ けんじろう、1854年(安政元年)~1931年(昭和6年))は、1879年(明治12年)に東京大学理学部において日本人として初の物理学教授となった。1901年(明治34年)、48歳の若さで東京帝国大学総長となった。その後、1911年(明治44年)に九州帝国大学の初代総長、1914年(大正3年)に京都帝国大学総長にもなっている。

開園151年!『兼六園開園記念日』

今日は、兼六園が151年前に一般開放され、開園記念日とされたとのこと。自分は特に後楽園の薄い色の緑が広がる明るいお庭が好きで機会があれば必ず立ち寄っていた。素敵な庭園で、日本人としての感性を持っていてよかったと思った。

昨日とは打って変わった好天の中、普段通りの日常が始まる。
機嫌よい車内、到着すれば大きな声の挨拶から午前中が始まる。
口腔機能の座学の一つである、はっきり詞を発音・発声を全員で唱和、軽く準備体操を行なって各自のプログラムに従って誘導され運動開始。
①集団体操はスツールに座位からの立ち上がり訓練、連休中はほぼ出掛けて散歩の時間を重ねたので、大腿直筋、腓腹筋が非常に張っている筋肉痛が激しい。明日はどうなることやら。

②トレッドミル 速度:2.6km/h 時間:10分 歩行距離:0.43km 麻痺側の膝が痛くて上がりにくい。
③マシントレーニング今日は、前半にきついものを持ってこられた。あまりないプログラム順となっていた。
後半は④持参の筋膜リリース足裏刺激
⑤個別はゆっくり下肢、肩の凝りを解してもらう。
支援の皆さんお帰りのサポート時間も含めてたっぷり、ソラーチを帰宅準備時間まで4セットほど行い、この間アイスコーヒー三杯いただく。本日は終了。

家内が通院途中に思わずパシャリ!。

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