急性期を支えてくれたセラピストに褒められた嬉しい一日 12/19(金)

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16年前の理学療法士さんとの再会が教えてくれた、継続の力!

昨日は、健康診断の結果を聴きに掛かり付けの病院に出掛けた。その際、16年前の脳梗塞発症の急性期にリハビリテーションを担当していただいたYptさんに偶然出会い呼び止められ、奇麗な姿勢でしっかり歩行できていますね「いいですよー」と感慨深げに言って下さった。あの頃と比較しませんが、リハビリ訓練は何処に通所されていますかと尋ねられ、現在の2箇所を答えると「いいですね」双方共に特徴のあるいい訓練をされているようにお見受けしていますと言って下さった。週3回Tシャツで汗を流していますと言えば、あのころと変わらず頑張っておられるんですねと覚えていて下さり、10分ほど院内での立ち話を続け、私の会計が出来たのと、担当患者さんが来られたのでそのままお別れしたが、彼に褒められた事が非常に嬉しかった。
足取り軽く昼食を摂りに出向き、その足でスーパーマーケットに買い物にゆき、一旦帰宅。
午後は家内の健診結果を聴きに家内の行き付けのクリニックに出向き、二人とも心配な特記事項は無く安心できた。

脊柱起立筋の硬さから学んだ、うつ伏せ寝返りの意外な効果

今朝は、低く雲が垂れ込め北寄りの風が冷たく1℃まで気温が下がったが、矢張りTシャツで汗を掻く事にした。
外は、「おお寒い!」少し暖かめのフリースを着て迎えの車に乗車。到着してのルーティンが終れば、両手での鏡文字で脳トレーニングと準備体操、全員出席でÅ他施設からの応援スタッフも交えて事故の無い様見守りを徹底しながらすべての運動に引率誘導され、位置に付き運動開始

①個別リハビリは、体の後ろ側のどこかに原因が在りそうな歩き方ですね、と最初に指名され施術を受ける。指示に従い仰臥姿勢を取り、背筋辺りから探りを入れ、脊柱起立筋や腸肋筋に触れ、自宅で俯せになることがあるかとのお尋ねに対し、皆無状態と答えると、出来れば俯せの状態を作り内臓を表裏運動だけでも動かしましょうとのご託宣、成程寝返りの効果が内蔵の直接運動になる事か、妙に納得する
②持参のマイトレックスで、足裏刺激・膝下マッサージの後 ③スツールに座位での集団体操、ハンドボールを使用して下肢の筋力強化を主に行った際、最初から座位の時に膝が開き気味になり苦労していたがÅのPTさんに母指球と膝内側に力を加える事を意識してみましょうと手を取り力を加えて教授して下さり有難かった楽に膝を閉じる事が出来た
④トレッドミル 速度2.9 時間10分 傾斜1 歩行距離0.48km

⑤ソラーチによる足底関節マッサージ3セット、要支援の方の帰宅完了まで続ける(給水タイムも兼ねる)11:30分を過ぎればあとは⑥マシン数種類で終了。今日はストレッチマシンから開始し、負荷マシンはチェストプレをス5㎏に上げて実施右は13kgのままで実施、最後まで残したシンクロウェーヴは何時も気持ち良く揺れて空腹にしてくれる事に喜びを感じている。
⑦気息体操は、室内を消灯して暗くした中でフィーリングミュージックを聴きながら深呼吸をし、心身を共にリラックスをさせてから帰宅する。
送迎車に乗れば一片の雲もなく気持ち良く晴れているのでこのままドライブもいいなと勝手に思うくらいの上天気。お疲れ様でした。

今日は何の日 役立つ雑学

日本人初飛行の日(12月19日 記念日)
1910年12月19日、東京の代々木錬兵場で陸軍工兵大尉の徳川好敏がフランス製複葉機を操縦し、4分間で高度70メートル、距離3000メートルを飛行した。これが日本初の公式飛行記録となった。
実は5日前に日野熊蔵大尉が先に飛行していたが、予定日外のため「誤って離陸」と処理され、公式記録にはならなかった。
この日の記録会では徳川、日野の順で両名とも成功し、日本の航空史が幕を開けた。
徳川は徳川御三卿の血筋、日野は天才発明家として知られた人物である。
1974年に代々木公園へ記念碑と両名の胸像が建立され、2010年には初飛行100周年式典が開催された。
世界初飛行はライト兄弟による1903年で、日本はそれより7年遅れての達成だった。
この出来事は日本の技術発展と近代化を象徴する歴史的転換点であり、現在の航空産業の礎となっている。
出典:Wikipedia、コトバンク

羽田空港の地下に眠る飛行機
羽田空港の滑走路の地下には、第二次世界大戦後に廃棄された数十機の飛行機が眠っている。
終戦後、GHQは日本の航空活動を全面禁止し、空港内の軍用機や兵器を破壊した。
これらは空港近くの鴨池に投棄され、池ごと埋め立てられた。その跡地に現在の滑走路が建設されたため、機体が地中に残された。埋められた中には、1938年に長距離飛行の世界記録を樹立した東京帝大航空研究所の実験機「航研機」も含まれる
赤い両翼から「真紅の翼」と呼ばれたこの貴重な機体は、日本が唯一保持する航空世界記録の立役者だった。
1993年の滑走路拡張工事で当時のプロペラが発掘され、この事実が裏付けられた。かつて世界一を目指して飛んだ機体が、二度と空を飛ぶことなく地下に封じられ、その真上を現代の航空機が離着陸を繰り返す光景は、日本の航空史の栄光と挫折を象徴している。
出典:現代ビジネス、Wikipedia

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