
ブログ村ランキングに参加しています。
バナーをクリックして応援ください。
昨夕は2回ほど小雨がぱらついた程度で、恵みの雨にもならなかったが。
そのおかげか、開けっ放しの窓を行き来する網戸越しの涼風だけで、扇風機もクーラーも使用せずに、ゆっくり寝る事ができ、寝汗を搔く事も無かった。
?秋が来たのかな?、などと目を覚ます。
涼しいうちに散歩でもしてみるか、と一寸出掛ける気にもなったが、日が昇るにつれ、ホットコーヒー飲み過ぎたせいか、気温上昇と共に汗が滲んできた。
早めだが昼食に外に出る。帰宅する頃には最近の気温が戻ってきた。
クーラーの世話になるような気温に戻り、結果的に散歩取りやめ、自宅内での基礎トレーニングに勤しむ。
ながさき平和の日(長崎原爆忌)

1945年8月9日午前11時2分、アメリカ軍B29爆撃機ボックス・カーが原子爆弾ファットマンを長崎市松山町上空500メートルで爆発させた。広島に次ぐ史上2番目の原爆投下により、当時人口24万人の長崎で約7万4千人が死亡し、建物の36%が全焼・全半壊する壊滅的被害をもたらした。現在までの原爆死没者数は18万5982人に達している。
この日は「長崎原爆の日」と呼ばれ、1995年に長崎市が「ながさき平和の日」に制定した。毎年8月9日には長崎市松山町の平和公園で「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が開催され、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けている。式典では投下時刻の午前11時2分に長崎の鐘やサイレンを鳴らし、1分間の黙祷を捧げた後、長崎市長による平和宣言と平和への誓いが行われる。
平和公園には平和を象徴する多くのモニュメントが配置されている。特に1955年完成の平和祈念像は、長崎県出身の彫刻家北村西望が制作した高さ9.7メートル、重さ約30トンの巨大な像で、被爆10周年記念事業として建設された。
長崎原爆忌(孫の参列から10年)
私の孫は10年前、千葉県赤十字の代表として長崎の原爆忌に参列する機会を得た。式典で各国代表と対話した経験を通じて、国際的な視野を身につけた。各国代表と話した経験を活かして、直接政治家になって役立つ人間として生きたいと、一般企業に就職し、被選挙権を得てから議員になる道を目指している。
👇👇👇 ご意見・質問・激励 お気軽になんでもコメントを 👇👇👇
コメント お気軽に、何でもコメントください。