大切な場所が幕を閉じた日、心の整理と未来への想い 5/6(振替休日・火)

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今日は、連休の最終日、27日からほぼ出歩き詰めで休みなくリハビリに通い、その他の日は何かと出掛たりと、最終日までボーイスカウトの我が団解散手続きに伴う、積み立ててあった遭難対策・賠償準備金や備品の引継ぎについての最終確認、育成会の総会を持ち回りで実施して賛否を問わねばならぬための、手順決めをおこない、移籍スカウト・リーダー・団委員の確認をして、跡形もなく八王子第6団が姿を消すこととなった。

  

春夫忌(5月6日 記念日)

大正から昭和にかけて活躍した詩人・小説家の佐藤春夫(さとう はるお)の1964年(昭和39年)の忌日。この日は「春日忌」とも呼ばれる。

佐藤春夫について
1892年(明治25年)4月9日、現在の和歌山県新宮市に生まれる。生家は代々の医家。父は医師・佐藤豊太郎(号は鏡水)で、正岡子規に私淑した文人でもある。慶應義塾大学文学部を中退。

生田長江、与謝野鉄幹らに師事し、文芸雑誌『三田文学』『スバル』などに詩を発表。この時期の詩は後に1921年(大正10年)刊行の第一詩集『殉情詩集』に収められ、大正期の代表的抒情詩集の一つとされる。
大正期に入ると、散文詩風の小説を書くようになり、幻想的な短編小説『西班牙(スペイン)犬の家』を刊行。1919年(大正8年)に『田園の憂鬱』を刊行、文壇の注目を集める
小説『都会の憂鬱』(1922年)、『女誡扇綺譚(じょかいせんきたん)』(1925年)、詩文集『李太白(りたいはく)』(1924年)、評論・随筆集『退屈読本』(1926年)など多彩な領域で活躍。
1948年(昭和23年)、日本芸術院会員に選出。1960年(昭和35年)、文化勲章を受章。東京都文京区関口の自宅で心筋梗塞により死去。72歳。墓地は京都・知恩院。
その他の作品に、小説『晶子曼陀羅(あきこまんだら)』(1954年)などがある。また、1964年(昭和39年)の東京オリンピック開会式に、前年に作詞した「オリンピック東京大賛歌」が歌われた。
出典:Wikipedia、コトバンク

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